えにし2007年07月10日 00時38分08秒

時間じゃない。

距離じゃない。

社会的関係性じゃない。



一瞬でもいい、

その人の心と向き合ったか。

その人の心と共鳴しあえたか。

その人と目には見えないなにかを共有したか。



遠い昔のできごとでも、

けっして色あせない出会いがある。



たった今のできごとでも、

かすんでおぼろげな出会いもある。



できることなら、

たくさんを求めず、

不器用でも、

あなたとの時間を大切にしたい。



器用さを求めて、

見失うもののないように。



大切なものは、

量ではなく、

質だと思うから。



あなたとのこの出会いを、

生涯の輝きにするために、

群衆の中でも、

すれ違う上りと下りの列車の中でも、

地球の“おもて”と“うらがわ”でも、

あなたの目を見すえて、

心を込め、

ことだまを伝えたい。



それが出会い、

縁~えにし~であると信じたいから。




このごろ、あまりにもおおぜいの人と出会い、

おおぜいの人の前で何かをすることが多く、

その「数」に飲み込まれそうです。


すべては出会いであり、出会ったからには、

その人と魂~たましい~の部分で共鳴したいと望みます。


時間でも、距離でも、社会的関係性でもない、

ひとりと、ひとりの、

奇跡的な出会いなのだから。

「余興」の意味2007年07月25日 08時09分07秒

よくパーティで「余興」と言われる時間枠があります。
あの、ザワザワした歓談の中、ステージ上で何かやっている…、あれです。



先日、
『余興のような』役割を仰せつかりました。


交流会の会場で、コラボレーションをしたいから朗読で参加しないかと。
ついつい食指が動くと「やる」と言ってしまう悲しいサガよ…。


クラシックギター、鼓弓、大正琴のアンサンブル、
中国茶のふるまい、モダンダンス、日本舞踊…
などが織り込まれていて、それを朗読でつないでいって欲しいとのこと。


ほぼ即興だと聞いていたのでのんびりと…、
しかし念のため、早めに会場へ出かけましたら、
なんと関係者全員、もう集まっているじゃありませんか!


そうか~みなさんやっぱり不安!?
…それともやる気満々?!


その際、某舞台制作会社のベテラン舞台監督さんが、
「この集まりは、あくまで交流が目的。皆さんが主役ではありません。
もちろんBGMにしようとは思っているわけではありませんが、
交流の邪魔になるような音量にはできませんから、悪しからず」と。


  交流が目的なら、我々の出す音は、
  どんな音量でも邪魔な音じゃない~?


心の中で小さな抵抗を感じつつ…、
ま、経験上、おおむね会場の状況も想像できますから、
時間になって朗読を始めました。


おおぜいの人の中で若干はこちらを向いている人もいますが、
ほとんどの人は(当たり前ですが)おしゃべりをとめることは出来ません。



そのまま延々と《コラボレーション》は続きました。


    ………………


ふと、同じ団体の20年近く前のパーティを思い出しました。
ジャクハイモノの私は、その時、司会をつとめておりました。

その司会席へ近づいてくる人が…。
時代劇などで拝見するお顔…東京からの来賓、俳優の某氏でした。

  
  「これって、文化人の集まりだよね。
  ほらみてごらんよ。
  ステージで歌っている人の歌なんて誰も聞いちゃいないよね。
  これが文化人だよ、なんだか情けないね…。」


ジャクハイモノの私は、
砂漠の中でようやくオアシスに巡り会えたような心持ちで、
某氏の言葉に静かに感動していました。



  そうですよね。
  歓談が目的なら、音は要らないです。
  もし音が欲しいんなら、CDでも流しておけば充分です。 
  もし“余興”をしっかり聞きたいと思う人がいたら、
  他の人のおしゃべりは途方もなく迷惑です。


    ………………



もうひとつのシーンを思い出しました。

これも20年近く前、
ある市民団体の集まりへ呼ばれたときのこと。

立食の会場でにぎやかに歓談が行われていました。

やがて時間が過ぎると椅子が並べられます。
みんなが着席したころ、照明が落とされます。

司会者が私たちを紹介し、
ステージで30分ほどのミニコンサートを致しました。


みなさん、さっきまであんなに楽しげに笑い、
おしゃべりに興じていたのに、耳を澄ますように聞いてくれます。

このメリハリの利いた楽しみ方にいたく感心したことを思い出しましました。


    ………………


もうひとつ、思い出しました。

これは…2年ほど前のこと。
大きなライブハウスでした。
名古屋の文化を広く深く愛した某氏の「偲ぶ会」会場でのこと。



主催者が「故人が喜ぶから」との希望で、
夫婦そろって場違い(?)な「官能朗読」をやることになりました。


その夜は、ステージ上で若手、ベテラン織り交ぜ次々と、
歌あり、演奏あり、踊りあり、語りあり、ショーあり…。


いつしか我々の出番に…。
官能朗読ライブへお足をお運びの方はご存知のストーリー。
 わけあって、女性の下着を身につける嗜好を持つ男性のお話の、
 ほんのほんのサワリの部分だけです。

どうせ誰も聞いちゃいないからと、気楽に読み始めたら…、
それまでやはりザワザワしていた会場が…、
読んでいる我々が戸惑うほどに、まさに水を打ったように、


シーーーーーーーーーーーーンと、

静まりかえったのでした。


    ………………


やはり皆さんどこかでちゃんと耳を使っているのですね。
それでもって「おしゃべりを続けるか、聞くか」取捨選択しているんですね。



先日のパーティ、
私の芸にまだまだ精進が足らないのは、
重々承知いたしております。



しかし、今は故人となられた俳優、某氏が会場にいらっしゃったら、
「あいかわらず」と、お嘆きだったでしょう。


また、司会や照明、椅子の配慮、ちょっとしたことで、
たぶんBGMにしない演出もあったでしょう。


そして、あの会場で、
官能朗読を始めたら………どんな展開となったでしょう。



いろいろ思いを馳せながら、
いったいパーティでの余興って、
どんな意味があるのだろう…と考えてしまいました。