夫の25年2008年11月09日 14時11分53秒

はるちゃんが生まれてからの二ヶ月半。
夫はまともに家にいたことがありませんでした。

もちろん、平日は会社勤めの日々、
残りの時間と休日は、
劇団の25周年記念公演に向けての毎日でした。

夫が関わっている劇団「pH-7」は、
数知れずある劇団の中でも、
注ぎ込む情熱や時間が半端ではなく、
50過ぎた人がやるにはきわめて過酷な「趣味」です。

その上、
今回は主演俳優である上に制作も負っていて、
うちに帰ってからもチケットやプログラムや、
なんやかんやでまともに寝ていません。
疲れて深夜の食事中に寝てしまったり、
稽古着を電車に忘れたり、
景気づけに飲むお酒の量も倍増、
駅を乗り過ごすこともしばしば…、
本当に死んでしまうのではないかと、心配しました。

見るに見かねて、私もDMの発送作業や、
プログラムの作成に少しだけ手を貸したほどです。

そして、
3日間の公演の、今日は千秋楽。

私は、はるちゃんの子育てで、
「腕がもう二本あったらなあ!」
と思いつつカレンダーをにらみながら、
この芝居の終演を待っていました。
その日がようやくやってきました。


公演プログラムの文章を読んだら、
夫はこの公演を区切りに芝居に別れを告げていました。
今回の公演がいわば引退公演となったようです。

まともな家族の形がようやく生まれるかと思うと、
ホッとする気持ちもありますが、
夫の心中を思うと、複雑です。
芝居が好きで好きで…愛し続けた夫。
幕を引いてしまっていいのだろうか…。
でもあの公演体制は、私もつらい。

「3ヶ月の稽古もあっという間、
3日間の公演もあっという間、
25年もふり返ればあっという間だね」
今朝交わした言葉です。

劇場は毎回立ち見の盛況とのこと。

家の中で時計を見ながら…、
あと1時間ほどで、
最終公演が始まり、
そしてその幕が降りるとき、
夫の四半世紀の芝居人生もいったん幕引きです。

愛に満ちた本2008年11月13日 20時44分30秒

今日、
一冊の本が届いた。

山田幸枝 著
「ハーブスと私」。

ハーブスとは、
名古屋の人なら(いや、名古屋の人ならず)知っている
あの大きなおいしいケーキで有名なお店「HARBS」だ。

著者 山田幸枝さんは、
このハーブスを小さな喫茶店から夫妻で成長させ、
実業家として一時代を築き上げた人だ。

一気に読んでしまった。
そして、静かに流れる涙が、止まらない。



私が幸枝さんと出会ったのは、
10年近く前だったと記憶している。
八竜のアトリエで開き始めた私の講座に、
お友だちに誘われて参加された。
気転が利き、知的で、よく笑う素敵な女性だった。

今思えば、あのころの幸枝さんは、
人生で最もつらい時期を過ごしていたのだ。

夫婦の絆が崩れ去り、
築き上げた会社の経営から突然身を引くことになった。
ようするにビジネスパートナーと
プライベートパートナーを一気に失い、
社会において立つ場所も失い、
複数の裁判で身も心もボロボロだった。
当時、そのことに話しが及ぶと、
笑い上戸の彼女が一転して形相を変え、
恨み節を語り始めた。
お酒に気をまぎらせる日々だったようだ。
彼女を連れて来たお友だちは、
「お酒から少しでも離すために連れ出した」と言っていた。

争っている裁判の膨大な資料を見せてもらったこともある。
もともと明るく無邪気だったであろう彼女が、
人生の貴重な時間に恨み続ける姿を私は理不尽に思った。
そして、早くそんなつらい過去を忘れて、
明日へ向かって歩き始めたらいいのに、
とひとごとゆえに思っていた。

あれから数年。
会うこともないまま過ぎ、
ときどきどうしているかなあと気になっていた。

そして、今日届いた本。

驚いた。
あの、険しい顔をしていた彼女は、もういない。

この本に記された言葉には、愛が満ちている。
別れた元夫に、
夫妻で小さな喫茶店から始めた懐かしい日々に、
ハーブスで苦楽を分かち合った社員の人々に、
出会った人たちすべてに。
そして、再び歩き出そうとする彼女の姿が清々しい。

読み進んでいるときから、
今、ここ、この瞬間が、
かけがえのない愛しいものなんだと、
痛いほど気づかせてくれた。

これは、どん底まで突き落とされ、
生死の境目も判別できないほど苦しんだ末の、
幸枝さんにしか書けない本だ。

そして、単なる私生活の回顧ではなく、
お店をやっていこうとする人には、
ヒントになることがいっぱい詰まっている。



全国書店、インターネットでも買えます。
夢を追いかける女性へ。。。ぜひ。

美しい人でも…2008年11月16日 13時53分32秒

一見美しい人でも
「食べる」
「話す」
この二つの場面に接して…幻滅することが時々ある。

かつて現場をともにした美しい演奏家。
 (あえて楽器は明記しないでおこう)
仕事のあとにご一緒したお食事でびっくりした。
くちゃくちゃと異常に音を立てて食される。
「これはわざとか?」と思うくらい、
すごく大きな音を立てる。不思議だった。

独身生活の長かった某営業マン。
食事をしながらかならず片肘をついていた。
身体も当然斜を向く。
まるで居酒屋のカウンター。
会話もだんだん裏さびれてくる。
不思議だ。

昔、好きだった人。
  (ずいぶん若いころの話しです)
喫茶店に入った。
彼がお店の雑誌を持ってきたて、私にも一冊手渡した。
「これを読めって?」
それぞれ雑誌を読む無言のテーブル…?
結婚ン十年の夫婦ならまだしも、恋人同士で…?
私には信じられない。

あ、それから、
食事しながら箸を人に向ける某演出家!
話しが興に乗るとどんどん人に先っぽを向けて振りかざす。
私、個人的に…末端恐怖症なので、これは一番×です。


なくて七癖。
悪気がなくても知らずにやっていること。
だれだってある。
もう一度自分を見つめてみようっと。

「行儀が悪いと言われても
やめられない食事中のマナーランキング」
http://ranking.goo.ne.jp/ranking/013/mealtime_manners/

“いただきます”2008年11月22日 13時52分49秒

木曜日にはるちゃんの3ヶ月検診がありました。
(ちょっと早いけど…)
体重は5725グラム。
生まれたときの倍以上の体重になっていました。
どうりで重いはずだわ~(^o^)


さて、先日の日記で、
お食事のマナーについて書きましたが、
もっと基本的なお話しが通じない人々がいるようです。

小学校のPTAの集まりでのこと。
「給食で子どもたちに『いただきます』を言わせないでください!」
と教諭におっしゃる親御さんがいるそうです。
なぜかというと、
「ちゃんと給食費を払っているのだから、
“いただきます”を言う必要はないとのこと。

「いただきます」の意味が、
そんな風に歪んでしまっているとは知りませんでした。

クリスチャンが食事前に、
神さまにお祈りする習わしはあっても、
みんなで声をそろえて「いただきます」という文化は、
世界中見渡しても、そうそう無いと思います。
私たちが誇るべき貴重な文化だと思うのです。

食材を生み出してくれた海へ山へ畑へ、
作物を作ってくれた、
摘んでくれた、
捕らえてくれた人へ、
食材を運んでくれた人へ、
食事を作ってくれた人へ、
食卓に食事を提供するために働いてくれた人々へ、
給食だったら給食費を払ってくれた両親へ、
楽しい時間を提供してくれる学校の人たちへ…、
たくさんの人への感謝の意味を込めて、
「いただきます」
はあるのだと思いますが…。

この話を聞いて、
あらためて、心して「いただきます」を言おうと、
思いました。



東の窓から見える風景に、
雪をかぶった山々が望めます。
恵那山でしょうか。
今夜遅くというか、
明日の夜明け前に、
中央道で東京へ行ってきます。
夫の両親や親戚に会いに行ってきます。
多摩川から見る紅葉はまだまだ見ごろとのことです。
中央道から眺める山々もきれいでしょう。
もしかして富士山もチラッと見えるかも。
あ!よそ見運転はダメダメ!
例によって運転手は私。
夫は、後部席ではるちゃんを見ながら
途中のSAでお乳の休憩タイムを入れて、
安全運転で、ぼちぼち行ってきまーす!