物語の世界へ ようこそ!2010年02月01日 16時23分23秒

子どものころから空想の世界であそぶのが好きでした。
時代や国を飛び越え、そこに生きる人となって呼吸をします。
すると、いつも見ている街が違った風景に見え、
ふだん吸っている空気までもが違う味に感じたものでした。

特におじいちゃん子だった私にとって、
時代劇でよく見聞きする江戸時代は、
いちばん飛んで行きやすい「時代」でした。
いつもは教室で手もあげられない引っ込み思案の少女が、
空想の世界に飛んで行けば、
ちゃきちゃきの江戸っ子になっていたのです。

体質的には、そんな空想癖が今も残っています。
ただ、忙しさにまぎれて、
あのころのように飛んで行けないのがオトナの寂しいところ。
だからこそ、今もこういう表現活動を人生の中心に据えているのかな、
と、ふと思うことがあります。

昨夏に続き、守山文化小劇場で開講中の朗読ワークショップは、
今年、ヴァージョンアップして、舞台公演を目指す取り組みとなりました。
今まで現代詩やオリジナル台本で構成演出してきた舞台から、
今回は朗読の「原点」に帰って、
既成の小説をテキストにすることにしました。

夏目漱石、太宰治、内田百、小松左京、吉行淳之介。
それぞれのことばの世界。
そこに生きる人物の人生観や死生観、歩く速度、話す速度、
何にこだわり何を捨てて来たか、そんなひとつひとつのことがらが、
間(ま)に生き、ニュアンスになり、劇場を満たす空気となります。
やがて、朗読する人間の呼吸や居住まいまでもが変わってくるから不思議です。

加えて、岡田弘氏が編纂された名古屋弁で語る「むかし話」をテキストに、
いにしえの守山界隈も旅する予定です。

2010年2月28日、日曜日。
60余名の肉体が、呼吸が、声が、
明治〜大正〜昭和の時代へと飛んで行きます。
そこに生きて、泣き、笑い、消えて行った多くの魂とともに、
ものがたりの世界にあそびます。

あなたも、ごいっしょにあそびませんか。
待ち合わせ場所は、日常から飛ぶことの出来る「劇場空間」です。
心よりお待ちしています。

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昨年10月から続けてきた朗読ワークショップ受講生たちの公演がひと月後に迫りました。
私は、朗読指導と企画・構成・演出を担当しています。

上の文章は、共催の守山文化小劇場が発行するかわら版に寄稿したものです。

詩の朗読の「瞬発力」と違って、
短編とはいえ数十分の文学作品の朗読は「持久力」「集中力」がとても必要です。
みんながんばっています。

*朗読公演「ものがたりの世界にあそぶ」
*名古屋市守山文化小劇場にて
*2010年2月28日(日)第一部=12:00 第二部=15:00
 ※第一部と第二部は内容がまったく異なります。

*入場料=各部500円


この公演を終えたら、しばらく、のんびりする予定です。


ご心配くださっている方、ありがとうございます。
あいかわらず痛みは続きますが...、
精神的にはずいぶんこのごろ安定しています。

今日2010年02月24日 11時15分31秒

今日は、父の命日です。
二十年前の今日、父は亡くなりました。

よちよち歩きの娘(現在21歳)を抱いたまま、
靴を脱ぐのももどかしく実家の玄関をかけあがり、
奥へはいると、
すでに父は静かに旅立っていました。
お気に入りのいすに腰掛けて、
仕事に行くしたくの途中のようすでした。

人はあんなにもあっけなく、
あんなにもすっきりと旅立てるものなのか。

娘が言うのも何ですが、
見事な死に方でした。
生まれるときも死ぬときも、
なかなか自分の思い通りには行かないものですから。

母は「お父さんがかわいそう」と時々言います。
50代で死んでしまうなんて、
老後の楽しみもないまま、
働きづめで死んじゃうなんて、と。

でも、私は言います。
お父さんの生き方には老後の文字なんてなかったでしょう。
生きたいように生きて、
自分が思い描く「死」に近い形で死んだのだから、
お父さんは全然かわいそうじゃないよ、と。

きっと娘の私にしか言えないせりふですね。


さて、明日は51回目の誕生日です。
半年前に宣伝美術用に撮った写真を
陽子さんに数枚送ってもらいました。

栄太郎と陽子さんに森林公園で撮ってもらいました。
まさか、こんな状態になるとは想像もせずに。

今となっては、この写真を見ると、
元気になってコンサートも出来るんじゃないかと。。。
元気をくれる「半年前の私」の姿です。



さて、明日の誕生日は、一日劇場にこもりきり、
仕込み、場当たり、あかり合わせ、ダメ出し…、
お祝いムードとは無縁ですが、
誕生日を大好きな空間で過ごせるのも…幸せ者、かな?

感謝浴2010年02月25日 10時05分47秒

おかげさまで51回目の誕生日を迎えることが出来ました。
メッセージ、メール、コメント、カード、
感謝、感謝です。

いつもは晴子と一緒にお風呂に入るので、
ゆっくりと一人でお湯につかって「ふ〜」という時間はないのですが、
ときどき夜遅く、もう一度入ります。

二ヶ月ほど前からでしょうか、
そうして一人でお風呂に入っていたら、
知っている人の顔がぽかっと心に浮かんできました。
何となく、声に出して「ありがとう」と言ってみたくなりました。
声に出して言ってみました。

すると、次から次へいろいろな人の顔が浮かびます。
一人ずつ「ありがとう」「ありがとう」と言い続けます。
際限がないほど、途切れることなく、
次々と顔が浮かんでくるんです。

友人、知人、両親や祖父母や家族、仕事で出会った人、
順序も脈絡もなし、理由は不明だけど何度も登場する人もいます。

浮かんでくる人のことを思うと、
「○○してもらったなあ」と思い出すのです。
○○は、言葉だったり、現実に助けてもらったり、
メールをもらったことだったり、苦言をくれた人も。
それぞれ違うのですが、
どれも、けっきょく伝えたい言葉は「ありがとう」なんですよね。

これまで体験しなかったことでした。
以後、時々そんなお風呂タイムを過ごしています。


幸せな時間って、こんな時間かな。
感謝浴。
あなたも一度やってみてください。

この一年もどうぞよろしくお願いします。