与えられた時間2014年08月04日 16時09分08秒

この世界(声と言葉の表現)に生きて三十数年になります。

ふり返ると様々な時期がありました。


どんなオファーでも飛び上がりたいほどうれしくて、
体当たりで挑戦していたあのころ。

たった一日のスケジュールの空欄が不安になったあのころ。

「これ以上仕事をしたら身体か心のどちらかが壊れる」と、
危機感を抱いたあのころ。

自分の「商品価値」について迷ったあのころ。


そして、いま。

とても特殊な状況下に置かれている私。

子育てという時間を持ちつつ、
「現場で最年長」という環境もたくさん。

要求されることとVS自分に与えられた時間
が不釣り合いな状況に、
ときどき頭を抱えることもあります。

でも…、
人生の出会いはすべて糧になると信じている私。
今の状況もきっと自分の徳になると思うのです。

だから…だましだまし…
投げ出さずにがんばりたいです。

どうして人間は…2014年08月05日 13時57分36秒

わが家には、テレビはないけどラジオはあります。

NHK第一「夏休み子ども科学電話相談」をときどき聞きます。
今日の小学校三年生の男子からの質問。

「人間は子孫を残さなければいけないのに、
どうして戦争をして殺し合うのですか?」

ちょうどたまった洗濯物をたたみながら聞いていて、
不覚にも泣けてきてしまいました。

質問に答える中村桂子さん。
「私もこのごろずっとそのことを考えています」と言いながら、
一生懸命に答えを探していました。

その中で「戦争に科学技術を使うことは絶対に止めなければいけない」という言葉がありました。

中村さんって、以前、電力会社の監査役をつとめられたり、
日本たばこの運営する施設の館長だったりした方のようですが、
とても心が伝わる答え方だと感じました。

一年前に岩波新書で出版されたこの本にも興味を持ちました。

https://www.iwanami.co.jp/hensyu/sin/sin_kkn/kkn1308/sin_k723.html

いつもと変わらない日々2014年08月06日 11時11分47秒

69年前の今日、
ヒロシマに原爆を落とした爆撃機エノラ・ゲイ。

搭乗者で最後の生存者だったセオドア・バンカーク氏が先週亡くなり、
空からあのヒロシマの惨状を見た証人はいなくなりました。

「日米双方の犠牲を最小限に抑え、戦争を終結させた」
英雄として、称えられた生涯。
アメリカでは学校でもそのように教育されています。

機長のポール・ティベッツ氏は語っていました。
「私は広島や長崎の人を相手に戦っていたのではなく、
我々を攻撃した日本という国と戦っていたのだ」

国と国との戦いになったら最後、
そこに生きる人びとの命や生活には、思いは及ばなくなります。
一人一人の歓びや、幸せなど、なんの意味も価値もなくなるのです。

「平和のために」と言う名目で戦争ができる国へと進む国。
やはり、その道を進んで行くことは止めなければ、と思います。

今日、戦争を知らない友人たちの、
日々の営みへの一喜一憂が、愛おしく感じます。
いつまでも、この、いつもと変わらない日常が続きますように。

ヒロシマのあの日も、
誰もがあたりまえのように明日が来ると信じていたのですから。