ナゴヤ劇場ジャーナル2020年07月05日 15時46分09秒

妄想会議@ちくさ座
地元でがんばるステージ情報紙「ナゴヤ劇場ジャーナル」さんから、「閉じ込められたアーティストたち」というテーマをいただきました。

書いたのが2か月ほど前で、若干「今現在」とずれていますが、お読みいただけたら幸いです。

以下に文章を掲載します。


 いつもどおり慌ただしく通り過ぎるはずだった2020年が年明け早々一変した。流行り始めたウィルス感染症が、人と人との交流を媒体に拡大しているという。握手や近距離での会話も、ときとして人の命を奪う危険を伴うと。

 混乱気味のまま2月中旬に開いた門下生の総会では、全員マスクをつけ、会場のドアノブや机、椅子、参加者の手指もアルコール消毒してから始めた。まだそのころは、クルーズ船での集団感染を他人事と捉える人もいた。

 3月はじめ、演出をした朗読劇は無観客で開催。カメラマンに協力を仰ぎ、四台のビデオカメラを客席に設置、何があっても途中で止めないことを告げて上演した。静まり返ったホール独特の空気感も手伝ってか、観客不在に落胆していた出演者からも、なんとか実現できたことを喜ぶ声もあった。

 その後は立て続けに、出演を予定していた公演が中止や延期となる。また、秋に主催予定だった記念公演も、緊急事態宣言が延長する中で稽古開始の目途が立たず、やはり中止の決断に至った。

 同様に講座やレッスンも休講や中止が続く。屋外での講座ですら、参加者の交通手段を考えると、人命と引き替えの行為になりつつあった。オンラインレッスンも取り入れてはいるが、インターネット環境が整っていない人もいるため、それを基本にするにはまだ時間が必要だ。
こうしてスケジュール表が「中止」「延期」の文字で埋められていくたび、経済的痛手と同時に心の深いところにダメージが積み重なるのをじわじわと感じてきた。

 閉じ込められた三か月、コロナ後の表現活動に想像を巡らせていた。はたしてソーシャルディスタンスは、のど元過ぎれば忘れ去られるのだろうか。それともひとつの経験値として私たちに根づき、その距離感での新たな表現が生み出されるのだろうか。

 汗を滴らせ、唾が飛んでくる密な空間での小劇場演劇や音楽ライブは、コロナ以前の文化遺産となってしまうのか。空気の振動によって呼吸と声を合わせてきたコーラスは、どのように生き残るのか。ホールの客席や定員はどう変わるのか。感染リスクを避けるべくネット配信が主流になっていくのだろうか。

 自粛要請が解かれ、扉があいたはずなのに、不用意には動けない現実が目の前にある。

 ある人がつぶやいた言葉が心に刺さった。「身体の弱い人間は、もう気軽にライブには出かけられませんね」

 弱者への想像力なくして文化は成立しない。体温や呼吸を通じた他者との交流に「命の危険」がつきまとう今、人々に幸せな時間を運ぶエンターテイメントはどう創られていくのだろう。扉の外へ一歩を踏み出すため、最大限イマジネーションをひろげてみようと思う。

劇場での集団感染2020年07月14日 14時10分44秒

幕が降りた直後に「無事終演」宣言ができた数ヵ月前が懐かしい。

幕が降りたのち、お客様の情報を二週間保管し、出演者にも観客にも感染者がでなかったとき、初めて「無事終わりました」と報告ができる。

なんとも…たいへんな時代になりました。

なにもしないのが一番安全。

けれど、慎重に、真摯に、「うつさない」「うつらない」対策を最大限にして前に進むことも必要。

舞台を、劇場を舐めたら、舞台人みんなの明日を奪ってしまう。

だから、
一歩、一歩。
責任と覚悟の上に。



尾上松緑さんのブログ。
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