いちめんの☆なのはな ― 2007年02月07日 18時24分19秒

ああ。
毎日いろいろありすぎて…、
その、一日、一日を生きるのにせいいっぱいなのです。
余力がない状態が、続いています。
日記は…何度か書いたんですけどね。
書ききれないほどの出来事、もうほとんど忘れました…あはは!
でも、余力がないときの日記って、
☆ダラダラやたら長く書いてしまうし、
☆なにを言いたいのか、途中から自分でも分からなくなるし、
☆とてもとても「過激なコト」を書いている自分を発見し、怖くなるし…
書いては消し、書いては消しの日々でした。
私は、人よりちょっとだけ体の変化に敏感なのかしら…、
「今、体調があんまりよくない状態だなあ」と感じています。
でも、毎日、教室で体を伸ばして、深い呼吸をして…、
一時間も過ぎると元気が戻ってくるのです。
でも、それが長く続かないのです。
その繰り返しですね。
でも、今日おともだちからあたたかいメッセージをいただき、
ちょうどパソコンに向かっていたところでしたから、
こうして書いています。
(また消しちゃうかなあ…??)
***********************
さて今日は、中村公園教室のあと、
豊田市まで車を走らせました。
いつもの…NHKラジオのネタ探しですけどね。
(ま…、仕事は仕事です。)
ご存知ですか?
トヨタスタジアムの横に一面の菜の花が咲いています。
なんというか…アタマを使わなくていい時間はありがたいですねっ。
ただただ、ぼんやりとお花畑を見ていました。
口から出るのはもちろん、山村暮鳥の「風景~純銀もざいく~」ですね。
スタジアムのスタンドの一部を特別に開放した
「菜の花展望台」「町を見渡す展望台」にも上って、
豊田市の景色を楽しみました。
道ばたにはタンポポ、オオイヌノフグリがそっと咲いていました。
この風景は…まごうことなき…春でした。
あまりにぽかぽかあたたかいので、
スタジアム・カフェでホットドッグとコーヒーを買って、
ベンチに腰掛け矢作川を眺めていました。
うーん、いい川ですね…やはり。
見上げると…青い空には…ひとつの雲もありません。
このままずーっとずーっと、坐っていたいなぁ…、
そんな昼下がりでございました。
毎日いろいろありすぎて…、
その、一日、一日を生きるのにせいいっぱいなのです。
余力がない状態が、続いています。
日記は…何度か書いたんですけどね。
書ききれないほどの出来事、もうほとんど忘れました…あはは!
でも、余力がないときの日記って、
☆ダラダラやたら長く書いてしまうし、
☆なにを言いたいのか、途中から自分でも分からなくなるし、
☆とてもとても「過激なコト」を書いている自分を発見し、怖くなるし…
書いては消し、書いては消しの日々でした。
私は、人よりちょっとだけ体の変化に敏感なのかしら…、
「今、体調があんまりよくない状態だなあ」と感じています。
でも、毎日、教室で体を伸ばして、深い呼吸をして…、
一時間も過ぎると元気が戻ってくるのです。
でも、それが長く続かないのです。
その繰り返しですね。
でも、今日おともだちからあたたかいメッセージをいただき、
ちょうどパソコンに向かっていたところでしたから、
こうして書いています。
(また消しちゃうかなあ…??)
***********************
さて今日は、中村公園教室のあと、
豊田市まで車を走らせました。
いつもの…NHKラジオのネタ探しですけどね。
(ま…、仕事は仕事です。)
ご存知ですか?
トヨタスタジアムの横に一面の菜の花が咲いています。
なんというか…アタマを使わなくていい時間はありがたいですねっ。
ただただ、ぼんやりとお花畑を見ていました。
口から出るのはもちろん、山村暮鳥の「風景~純銀もざいく~」ですね。
スタジアムのスタンドの一部を特別に開放した
「菜の花展望台」「町を見渡す展望台」にも上って、
豊田市の景色を楽しみました。
道ばたにはタンポポ、オオイヌノフグリがそっと咲いていました。
この風景は…まごうことなき…春でした。
あまりにぽかぽかあたたかいので、
スタジアム・カフェでホットドッグとコーヒーを買って、
ベンチに腰掛け矢作川を眺めていました。
うーん、いい川ですね…やはり。
見上げると…青い空には…ひとつの雲もありません。
このままずーっとずーっと、坐っていたいなぁ…、
そんな昼下がりでございました。
父の命日 ― 2007年02月24日 21時13分59秒
17年前の2月24日、父は亡くなりました。
今日のように風は冷たく、空は晴れ渡っていました。
享年58歳でした。
その日、
会社にも出ていない。
家に電話しても誰も出ない。
不安な数時間がありました。
ようやく駆けつけたとき、
父は、出勤の支度途中のまま、
テレビもつけっぱなしで、お気に入りの安楽椅子に腰掛け、
眠るように死んでいました。
もともと仕事の無理が重なって肝臓を悪くし、
静脈瘤破裂で血の海を二度も経験していました。
なのに…、さいごはきれいな姿でした。
からだの半分はあたたかく、半分は冷たくなっていました。
虫の知らせというのでしょうか、
前夜には母に、死んだときのいくつかのことがらを告げていたそうです。
でも、まさか翌日にその日が来るとは…父も想像していなかったでしょう。
父は、東京から母と二人やってきて、
右も左も分からないまま、鉄工場を始めました。
小さな民家を使った工場から、
機械も増えてだんだん大きな工場になっていきました。
鉄と機械油の匂い。
ねずみ色の作業服。
安全靴。
フォークリフト。
トラック。
父と共に思い出すそんな匂いや風景です。
弟と私をトラックに乗せて、
小田原や滋賀の取引先の工場へ連れて行ってくれたこともありました。
残業ばかりで帰りはいつも遅かったけれど、
たまの休みは虫取りしたり、川で魚を捕ったり、
自然の中へ連れて行ってくれて、いろいろな経験をさせてくれました。
でも、私が演劇をし始めた頃から、
少しずつ父が乗り越えるべき「壁」に思えるようになりました。
私がやりたいことに、ことごとく反対する存在となっていたのです。
『どうしたらこの壁を越えられるようになるんだろう…』
今思えば、父と娘じゃなく、父と息子のような関係です。
私は私で、自分の人生がかかっているので真剣でした。
でも、最後にはこの道に進むことを認めてくれ、歩み始めることが出来ました。
父が亡くなる直前。
『サウンド・オブ・ミュージック』の公演がありました。
3時間の舞台を見て父は、
「全然長いと思わなかったぞ」と言ってくれたのです。
ようやく、父が納得してくれる舞台に立てた!
そんな安堵感と喜びで胸が一杯になりました。
それから6日後、父は突然いなくなってしまいました。
父が死んだとき、家族は誰もいなかったのですが、
正確には、そばに一匹おりました。
父がかわいがっていたヨークシャーテリア「ぽっぽ」です。
そのぽっぽは、父の49日の法要の夜、
ひっそりと息を引き取りました。
「お父さんが連れて行ったんだね」と母は言いました。
今日のように風は冷たく、空は晴れ渡っていました。
享年58歳でした。
その日、
会社にも出ていない。
家に電話しても誰も出ない。
不安な数時間がありました。
ようやく駆けつけたとき、
父は、出勤の支度途中のまま、
テレビもつけっぱなしで、お気に入りの安楽椅子に腰掛け、
眠るように死んでいました。
もともと仕事の無理が重なって肝臓を悪くし、
静脈瘤破裂で血の海を二度も経験していました。
なのに…、さいごはきれいな姿でした。
からだの半分はあたたかく、半分は冷たくなっていました。
虫の知らせというのでしょうか、
前夜には母に、死んだときのいくつかのことがらを告げていたそうです。
でも、まさか翌日にその日が来るとは…父も想像していなかったでしょう。
父は、東京から母と二人やってきて、
右も左も分からないまま、鉄工場を始めました。
小さな民家を使った工場から、
機械も増えてだんだん大きな工場になっていきました。
鉄と機械油の匂い。
ねずみ色の作業服。
安全靴。
フォークリフト。
トラック。
父と共に思い出すそんな匂いや風景です。
弟と私をトラックに乗せて、
小田原や滋賀の取引先の工場へ連れて行ってくれたこともありました。
残業ばかりで帰りはいつも遅かったけれど、
たまの休みは虫取りしたり、川で魚を捕ったり、
自然の中へ連れて行ってくれて、いろいろな経験をさせてくれました。
でも、私が演劇をし始めた頃から、
少しずつ父が乗り越えるべき「壁」に思えるようになりました。
私がやりたいことに、ことごとく反対する存在となっていたのです。
『どうしたらこの壁を越えられるようになるんだろう…』
今思えば、父と娘じゃなく、父と息子のような関係です。
私は私で、自分の人生がかかっているので真剣でした。
でも、最後にはこの道に進むことを認めてくれ、歩み始めることが出来ました。
父が亡くなる直前。
『サウンド・オブ・ミュージック』の公演がありました。
3時間の舞台を見て父は、
「全然長いと思わなかったぞ」と言ってくれたのです。
ようやく、父が納得してくれる舞台に立てた!
そんな安堵感と喜びで胸が一杯になりました。
それから6日後、父は突然いなくなってしまいました。
父が死んだとき、家族は誰もいなかったのですが、
正確には、そばに一匹おりました。
父がかわいがっていたヨークシャーテリア「ぽっぽ」です。
そのぽっぽは、父の49日の法要の夜、
ひっそりと息を引き取りました。
「お父さんが連れて行ったんだね」と母は言いました。
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