こころとからだの平和バトン Fromやお,2nd2015年06月25日 18時20分08秒

あれは、今から6年半ほど前の2009年11月。

夫と、一歳になった娘とともに、
義母のお見舞いに上京したときのことでした。

夫の故郷は、東京駅から二時間近くかかる町。
子ども連れでの日帰り往復は、かなりの体力がいりました。

その帰り道、もうひとつ電車に乗れば自宅最寄りの駅、というとき、
急に足にブロックがかかったような激痛が走りました。
コンコースをのろのろと歩きながら、
夫に「ごめん、ここからはタクシーで帰りたい」と頼みました。
気軽にタクシーを使う習慣がないわたしが、
もう歩けないと感じ、タクシーを使ったのです。

そのとき、夫もわたしも、足に起きた痛みは、
一過性の現象と思っていました。

しかし、そうではありませんでした。
足がつるような痛みは日常となりました。

痛みは様々なところに影を落としてゆきました。
もちろん表現活動、講座などの仕事、そして日常生活全般に。
クルマの移動はできても、駐車場から現場まで移動するのに
ものすごく時間がかかりました。

あるとき、ついに車椅子に乗りました。
車椅子に座ると、大人のほとんどの視線が上から注がれます。
「かわいそうに」という表情をされることも、ままありました。
かと思えば、車椅子が通ろうとしていることに気づかず通路を塞ぐ人も。
「すみません」と声をかけるにも勇気が要ります。

痛みの原因はすぐには分かりませんでした。
整形外科、循環器、心療内科とグルグル回されました。
そして、ある病院で診断されたのが、
「線維筋痛症(せんいきんつうしょう)」でした。
なにそれ?と思う人も多いでしょう。
このごろ、少しずつメディアにも名前が出るようになりましたが、
原因不明、特効薬なし、特徴は全身に走る痛み。
その痛みを形容する言葉には、
「血管の中をガラスの破片が走るような」など、
ただならぬ表現を目にします。

死に至る病気ではないのですが、
痛みに耐えられず、自ら命を絶つこともあるほどです。
ちょうどわたしが診断された二年ほど前だったでしょうか、
著名なアナウンサーが、
この病に悩み、飛び降り自殺したニュースが記憶に新しいころでした。

そのころのわたしは、口を開くと「痛い」「痛い」と言っていました。
家にいるときはほとんど布団に横になっていました。
寝たきり、といってもいい状態でした。
痛い!という言葉は笑顔では言えません。
そして、それを聴く側も笑顔にはなれません。
家族も、そんなことばを聞かされて辛かっただろうな、と思います。

また病院で処方される薬は、いわゆる精神向薬のたぐいばかり。
痛みを止めるに、神経をマヒさせるしかないのです。
まじめに飲んだらフラフラになり、
日常生活はますます困難になりました。
友だちの助言もあって、薬を飲むことをやめました。

それでも痛みは容赦なく襲ってきます。
痛みをとるために、
いろいろなところに行きました。
いろいろな人を紹介していただきました。

そんなさなか、一冊の本を教えてもらいました。
ミステリー作家 夏木静子さんの「椅子がこわい」という本です。

何気なく手にしたその本は、想像以上に示唆に富んだものでした。
夏樹さんは激しい腰痛に悩んでいました。
あまりの辛さにふと死がよぎったり、
いずれ自殺することになるか、と思うほどの痛みだったのです。
夏樹さんはありとあらゆる療法を尋ね、試みます。

そして、最後にたどり着いた場所で、
「夏木静子のお葬式をしなさい」と言われます。
夏木静子としてのこれまでの華やかな経歴や過去をいっさい捨てなさいと言うことでしょう。

夏樹さんは、そもそも痛みが心因性のもの、というとらえ方も認めていなかったので、とうぜんのように抵抗します。

しかし、腰痛はどんどん彼女を追いつめ、最後の最後に決意をします。
そして断食療法を経て、自らの中の劇的な変化を感じ、
やがて腰痛もウソのように消えます。

わたしは、この本に背中を押してもらい、
これまで握りしめていたものを手放してみよう、と思い至りました。

そして、ほとんどの仕事をお断りしました。
『そんな連絡をするだけでもストレスになる、
無理してでも引き受けたほうがよほど気が楽だ』
と思っていたわたしが、仕事をキャンセルをしたのです。

一時的にはご迷惑をおかけした部分もありました。
でも、絶対的に「わたし」でないといけない、なんてことは、
この世にほとんどない、ということも知りました。

スケジュールが白くなっていきました。
会いたかった人に会いに行きました。

そうしながら3ヶ月もするうちに、
私の足の痛みはなぜか消えていました。


《こころとからだの平和バトン》 第二日目
このバトンは、広島市西区太光寺の副住職東和空さんの発案で、
天城流湯治法 杉本錬堂さんから始まったものだそうです。
三日間、心と体について思うところを書き、
その後、二人の方にバトンを渡して行くとのこと。
わたしは、同じ誕生日(2月25日)という不思議なご縁の
演出家 青柳敦子さん(通称:あおさん)からバトンを受け取りました。
今回は、あまり書かなかった『線維筋痛症』と診断されたころのことを記しました。こころとからだ、ほんとうに一体ですね。

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