表しようのない気持ち2005年11月01日 08時13分34秒

世の中が変わってゆくのは当たり前だ。

しかし、最近の変わり様はなんだろう。ある場所で、急進的に何かを大きく変えようとしているとしか思えない。

放送を聞くと、アナウンサーは「ニホン」と言ったあとに「ニッポン」と言い直している。当たり前のように身近に存在している憲法も、いきなりたくさんの言葉が消されたり、変えられようとしている。変化が、あまりにも急激すぎる。

ついこの間の総選挙でどれくらい憲法論議がされていたのだろう。郵政民営化一本槍ではなかったか。それが、いきなりここへ来て憲法「改正」だ。

自衛隊と自衛軍はどう違うのか。英語に直したらほとんど同じなのではないか。あえてそんな言葉いじりをするのはなぜだろう。

戦争放棄をうたった憲法を掲げていると、国際社会で無責任と見なされ発言権もない立場に立たされるのだろうか。だったら、この60年間、この国はお気楽で無責任に(アメリカに守られながら)「のうのうと」のさばっていたのだろうか。

「戦争が好き、戦争がやりたいです!」と言う人がいるのだろうか。そのあとに「ゲーム」や「ごっこ」という言葉がつくことと勘違いしているのではないか。ゲームで人は死なない。でも、本当の戦争は確実にあなたも、私も、「死」の隣におかれるのだ。

戦争はしません、と言うことがなぜそんなにいけないことなのか。お気楽な意見と笑われるのだろうか。

私は、今、言いようのない胸苦しさがこみ上げてくるのを押さえられない。

わが町2005年11月11日 21時25分55秒

「生きているうちに人生の素晴らしさを、その一分、一秒を認めた人って……一人でもいたかしら?」

「いないね。聖者とか詩人なら、あるいはね。」

……

「人間なんてみんなそう、何も見えてはいないんですわ。」

……

「ねえ、人生ってひどかったわね。……そして、素晴らしかった。」

……

「私、今思ったんです。生きている人たちには分からないことがあるって。そうでしょう?」

「そうね。ほとんど分かってないわね。」

……

ソートンワイルダー作「わが町~三幕~」。

魂の故郷に帰ったようなそんな芝居だった。

私が死ぬとき、何が見えるんだろう。何が分かるんだろう。

求めているもの2005年11月19日 00時44分54秒

「何かさ…心の底からやりたいこと、行きたい所ってないのかなあ?」
尊敬する先輩芸人からの質問。あまりにも、私がいつもどっしり(?)しているので、「コイツは身をよじって渇望することはないのか」との素朴な問いだった。

「その質問、わたし、一番困ります。今、心の底からやりたいこと、行きたい所なんてないのです。」

だって私にとって、どうしてもやりたいことは、歌うことであり、演じることであり、朗読することであるから。もしそれが、大きな力で阻止されるようなことになったら、きっと命がけで戦ってでも、歌い演じようとするだろうけれど、幸運にも私はその一番やりたいことが満たされているのだから、何をこれ以上欲しいものが、行きたい所があるのだろうか?

ブランドの服や宝石もいらない。高級車も別荘もいらない。海外旅行への夢もなければ、五つ星レストランのディナーも欲しくない。もしかしたら、家庭だって恋だって…二の次かも知れない。

「なーんて寂しい人生!」って思われるかも知れないが…。そう、私の人生、実はぜんぜん欲張りじゃない。アレもやりたいコレもやりたい、あそこへ行きたいしアレも欲しい…。そんな欲求はまったくないのだ。

先輩からの質問に、ふと考えたら、そんなことに気がついた。

表現する幸せ2005年11月27日 13時40分54秒

昨日は「ドラマティックライブ」だった。
リクエストをもらって歌うという趣旨だったが、
いざ内容を詰める段階になると、構成がなかなか難しい。

そこでそれぞれの歌に、さらにドラマを広げて語ることで、
コンサートを一つの川の流れのようにした。
お客様は、その流れに身をゆだね、
川面を見つめたり、時には水に手を浸したり、遠くの山々を眺めたり、
そんなふうに時間が流れてゆく。
拍手をする必要もない。

その日の朝、大切な友だちを見送ってきた、という人からは…、

『“喝采”を聞いていたら涙が止まらなくなっちゃって・・・困った。
友だち夫婦のなれ初めは高校時代の同級生。
なんとなく後の曲にも繋がっていて、
「想い出のなかの人」になった彼はきっと私たちと一緒に聞いていたと思います。』

と言うメールが来た。
きっと「卒業写真」や「海を見ていた午後」、「涙そうそう」も、
みんなその彼の思い出に重なったんだろう。

一番強く印象に残ったという歌がみんな違うのも面白かった。
「夢で逢えたら」、「秋桜」、「ボン・ボヤージュ」「いつか王子様が」…。
人生経験を積んだ方からは「ボン・ボヤージュ」の支持が強かった。

何を見るときも聞くときもそうだけれど、
人生経験の模様によって琴線に触れるところがみんな違うんだなって。
絵を見ても、映画を見ても、もちろん音楽も、詩や文学も、演劇も、
自分が歩んだ道のりで何を感じ、何を大切にしてきたかで、
みんな違うんだな、って…。