小さな節目2008年03月07日 22時24分23秒

不思議なものですね
流れには
自然な節目ができるものです

NHKラジオ 第一放送
月に一度出演していた番組が今月で終了です

局から送られてきた手紙の文面を読み
番組のスタートから終了まで
5年間続けてきたことを知りました

もともと一年くらいのこととだろうと引き受け
一年 もう一年と続いてきた「ささやかな」お勤め
まさか5年もの月日を過ごそうとは…自分でも驚きです

月に一度 5分ていどのおしゃべりは
かえって「もてあまし気味」なところもありましたが
課せられた宿題をこなすように
愛知県内の話題を求めて走りました

全国へ向けての生放送
電話での出演
携帯で発信するときには
電波環境を確認しつつ
次の仕事先へのアクセスに気を揉み
ちょっぴり寿命が縮まりました 

こんなにバタバタしている私より
もっともっと細やかな話題を提供できる
適任者がいるだろうと思いつつ…

でも
このお仕事がなければご縁のなかった場所や人
たくさんたくさんありました
このお仕事がなければ過ごせないゆったりした時間も

出会いに やっぱり
ありがとう
です



今朝 9時5分過ぎ
私にとって最後の放送
今日の話題は 
見ごろを迎えた名古屋市農業センターのしだれ梅のことでした

なんか~
最後だというのにパッとしない地味な話題だなあ~と思いつつ
いつものように淡々と…

あとでアナウンサーの村上さんから
メールが来ていました
「5年間本当にありがとうございました」

小さな小さなお仕事ではあるけれど
塵も積もれば…

やっぱり今回も
静かな感慨が残りました

自転車創作2008年03月14日 19時13分03秒

自転車創作。

   


こうして文字にすると、なんだか爽やかな響きですねぇ。

でも、自転車を作っているわけではなく、
いわゆる“自転車操業”の“創作”を言います。

 「体調はいかがですか?」
 恐る恐るメッセージを下さる方がいらっしゃいます。
 私も近況をマメに書きたいところですが、
 診察に行けない日々の中、
 お腹の中のもうひとりの人が無事なのかどうか、
 書けなくてもどかしいこのごろです。


さて、「自転車創作」ですが、
昨年までの「コトノハ☆コトダマ」公演の作り方から、
思いきって今年は、
オリジナル台本とオリジナル音楽にすることにしました。

昨年までは、図書館や本屋さんを駆け回り、
テーマに合わせて既成の詩や散文を捜してきました。

しかし、「こういうイメージの言葉が欲しい」と思っても、
ぴったり来る作品などそうそうあるものでもなく、
かなり苦労していました。

「こんなに苦労するなら自分で書いてしまえ」
という気持ちが発端です。

で、私はその台本を書いているわけです。
これが、もう自転車操業。



目標、45編。
今現在、ようやく半分くらい。
今月いっぱいが勝負です。

妊婦らしい生活からはほど遠い毎日です。

順調です2008年03月21日 08時41分06秒

ひと月ぶりの検診に行ってまいりました。

今までお世話になっていた病院の産科が廃止になり、
紹介状を書いていただき、
瀬戸市の病院へ行ってきました。

 今のこの国、少子化を嘆くわりに、
 安心して子どもを産める環境が整っているかと言えば、
 まったく正反対。
 安心して産める場所がない妊産婦さんが、
 どんどん増えそうです。
 どうなっちゃうの?この国?!


診察の結果は…、
とにかく私の場合、
データがないほどの超高齢妊婦。
お腹の子が無事がどうかが第一の問題です。

おかげさまで、無事でしたー。
元気でしたー。
動いていましたー。

もう、それだけでじゅうぶんです、母は。


そんなわけで、精神的にも落ち着きを取り戻し、
帰宅後は、部屋に風を通して掃除と洗濯をし、
めずらしく香を焚いて、気分もすっきり!

ノートパソコンに向かって、
自転車創作の続きにとりかかりました。
しばらくスランプで創作モードはおろか、
自己嫌悪モードでしたから…。

精神的に落ち着き、頭も冴えて気持ちよく進みます。
目標45編まであと数編となりました。
今晩はもう少しがんばれそうです。

いのち2008年03月24日 09時47分21秒









このことは日記に書こうかどうしようか…迷いました。

あまりにプライベートなお話しだし。
(ま、日記は本来プライベートなものだけど、ね。)
いい人ぶっている感じがして、ちょっと抵抗があるし。



でも、書いてみます。


最初に流産した時に医師から説明を受け、はじめて認識しました。
稽留流産の多くは“染色体異常”によるものであると。

年齢を重ねると卵子もそれなりの年齢になっています。
なにせ、女性としてこの世に生まれ出たときには、
すでにタマゴを体内に抱えているのですから。
だから、私の場合はタマゴも49歳。

ほとんどのタマゴは、待ちくたびれて疲れています。

その結果、妊娠しても多くの受精卵は、
染色体異常になってしまいます。

で、ヒトになれなかったものは自然に流れます。



しかし、染色体異常といっても程度はさまざまで、
生きる力を持った子どももいます。


そういう子どもたちは、
身体に多少の不自由さを持って生まれます。
たとえばダウン症児など。




今の時期には、いわゆる「羊水検査」で、
染色体異常を発見できます。

前にかかっていた医師は、
「一応、羊水検査を受けた方がいいでしょう」
という考え方でした。



でも、考えました。

羊水検査を受けて、もしも「異常」がわかったら…、
妊娠をとりやめるのか…?

生まれたあとのことを思い、自分にその覚悟があるのかどうか、
正直に言うと、
幾日か考えました。
夫とも話し合いました。



で、やっぱり答えは「No」です。



自然な中でさずかった命。
もう、それだけでも奇跡的な確率と思っています。

その命が生きようとするならば、
私は…、私と夫は、それを守っていこうと思います。
それが一番自然な流れ。


生きようとしている子の未来を奪うことは、
私たちには出来ない。



けっきょく「羊水検査」を受けることをやめました。


お腹の中で少しずつ成長している命を自然な流れで
はぐくんでいこうとあらためて決意いたしました。


たとえ、障害をもって生まれようと、
私たちの人生をかけて、この子を守ります。

「白樺八青」の誕生日2008年03月27日 18時56分14秒


今日は、3月27日。

今から12年前の今日、
白樺八青(しらかば・やお)が誕生しました。

  実は、
  変換されないことがあるので「青」の字にしていますが、
  正式には、下が「月」ではなく「円」なのですよ~。


12年前、私はいろいろな意味で、
傷つき、悩み、
生きる力が空っぽになりました。

今では考えられないけれど、
すべてを捨て去って、
新しく生まれ変わりたいと思いました。

住むところを変えるにはあまりにも制約が多かったあのころ。



「名前を変えよう」



今までの名前の片鱗も残さず、
新しい名前で歩き始めようと決めました。


「今まで活動してきてせっかく定着した名前なのに、どうして?」
「白樺八青さん…なーんて…すごく違和感がある!」
「そんな名前、呼べないよ~!」
「いったい、どうしちゃったの?!」

いろいろなご意見がありました。
もちろん賛成意見も。



そして…、
それまでに出会った人、
そのあとに出会った人、
数としては前とあとと…、
半々くらいになったのではないかと思います。


ありがたいことに、
“しらかば・やお”以前にいただいたご縁も、
今日までたくさん続いています。



表現者として、死ぬまで白樺八青で生きるつもりです。


心からこの名前に感謝しています。






《ご報告》
本日から、妊娠五ヶ月目に入りました~