あとひと月 ― 2015年12月01日 10時03分59秒
母が亡くなって、ある意味、時間が止まった感があり、
しかし、現実には必要としていただく場面もいくつかあり、
時間の流れが、あちこちで異次元を行き交いなりながら進んでいます。
10月28日、ことばのまびや朗読ライブ「対話~DialogueⅡ」では、
稽古初日までの二日間で書いた6作品を稽古を重ね、
本番では、出演したまなびやメンバーにも、お客様にも喜んでいただきました。
11月22日には小牧市混声合唱団のステージで、
マイフェアレディの進行役をさせていただき、
久しぶりのミュージカル気分を堪能いたしました。
上田定行さんからお声をかけていただいた専門学校HAL・卒業制作展のための映像作品のお手伝いでは、
久しぶりにスタジオ収録の楽しさをチラリと堪能いたしました。
11月30日には、ギタリスト望月雄史さんのお声がけにより実現した
稲武小学校での「朗読を聴く会」で、
これまた(かつては日常だった)小学校で公演を懐かしく思い出し…。
とても恵まれた毎日を送っています。
そして、今月は、ついに妄想会議です。
一年の総決算、
母へのオマージュ、
さまざまな思いを込めてお贈りいたします!
お一人でも多くの方にお越しいただけることを願っています。
しかし、現実には必要としていただく場面もいくつかあり、
時間の流れが、あちこちで異次元を行き交いなりながら進んでいます。
10月28日、ことばのまびや朗読ライブ「対話~DialogueⅡ」では、
稽古初日までの二日間で書いた6作品を稽古を重ね、
本番では、出演したまなびやメンバーにも、お客様にも喜んでいただきました。
11月22日には小牧市混声合唱団のステージで、
マイフェアレディの進行役をさせていただき、
久しぶりのミュージカル気分を堪能いたしました。
上田定行さんからお声をかけていただいた専門学校HAL・卒業制作展のための映像作品のお手伝いでは、
久しぶりにスタジオ収録の楽しさをチラリと堪能いたしました。
11月30日には、ギタリスト望月雄史さんのお声がけにより実現した
稲武小学校での「朗読を聴く会」で、
これまた(かつては日常だった)小学校で公演を懐かしく思い出し…。
とても恵まれた毎日を送っています。
そして、今月は、ついに妄想会議です。
一年の総決算、
母へのオマージュ、
さまざまな思いを込めてお贈りいたします!
お一人でも多くの方にお越しいただけることを願っています。
お母さん ― 2015年09月03日 23時39分28秒
8月23日、
母が、静かに息を引き取りました。
世界でいちばん応援してくれた人でした。
母の人生は、決して平坦な道ではありませんでした。
子どものころ、座ってお茶を飲んでいる母の姿をほとんど見たことがありません。
2月、私の誕生日に、
「生んでくれてありがとう」とメールで伝えました。
よほどうれしかったのか、母の方から電話をくれました。
7月、急激に弱ってきた母に、
「いちばん大変だったときに、支えてくれてありがとう」と伝えました。
「いいえ」と微笑んで答えてくれました。
この二つのことばを伝えておいてよかったと思います。
お母さん、もういちど言いますね。
私を生んでくれてありがとう。
支えてくれてありがとう。
ありがとう。
母が、静かに息を引き取りました。
世界でいちばん応援してくれた人でした。
母の人生は、決して平坦な道ではありませんでした。
子どものころ、座ってお茶を飲んでいる母の姿をほとんど見たことがありません。
2月、私の誕生日に、
「生んでくれてありがとう」とメールで伝えました。
よほどうれしかったのか、母の方から電話をくれました。
7月、急激に弱ってきた母に、
「いちばん大変だったときに、支えてくれてありがとう」と伝えました。
「いいえ」と微笑んで答えてくれました。
この二つのことばを伝えておいてよかったと思います。
お母さん、もういちど言いますね。
私を生んでくれてありがとう。
支えてくれてありがとう。
ありがとう。
8月15日のこと ― 2015年08月17日 00時07分18秒
平和への思い ― 2015年08月16日 03時32分19秒
同じ時代(とき)、この星に生まれて。
~八月十五日を忘れない~
用意していた客席では足らず、
急ぎ、椅子を列べ、超満員の会場。
あたりまえの日常がどんなに尊いものなのか。
今が、「戦後」であることのありがたさ。
戦争がいかに愚かな行為であるか、
そして憲法に守られてきたわたしたちの戦後
を実感する時間になりました。
盟友
村上信夫さんの進行・朗読に、
素晴らしいメンバー
竹内幸枝さん(サクソフォン)、
伊藤玉木さん(コントラバス)、
嶋田達也さん(ギター)、
林敬子さん(マリンバ・パーカッション)、
菅原拓馬さん(ピアノ)、
語り部
伊藤等さん、
冨岡貞男さん、
津田さゑ子さん、
時間がない、
予算も潤沢にない、
限られた中での
スタッフ&お手伝いのみなさんの最大限の努力、
芸文スタッフの皆さんのご尽力、
そして、会場を埋めてくださったお客様。
伝えたいことを
精いっぱい、心込めて伝える。
そこから様々な力が生まれることを、
あらためて実感しました。
からっぽになった今日から、
また一歩が始まります。
平和な今日に感謝を込めて。
~八月十五日を忘れない~
用意していた客席では足らず、
急ぎ、椅子を列べ、超満員の会場。
あたりまえの日常がどんなに尊いものなのか。
今が、「戦後」であることのありがたさ。
戦争がいかに愚かな行為であるか、
そして憲法に守られてきたわたしたちの戦後
を実感する時間になりました。
盟友
村上信夫さんの進行・朗読に、
素晴らしいメンバー
竹内幸枝さん(サクソフォン)、
伊藤玉木さん(コントラバス)、
嶋田達也さん(ギター)、
林敬子さん(マリンバ・パーカッション)、
菅原拓馬さん(ピアノ)、
語り部
伊藤等さん、
冨岡貞男さん、
津田さゑ子さん、
時間がない、
予算も潤沢にない、
限られた中での
スタッフ&お手伝いのみなさんの最大限の努力、
芸文スタッフの皆さんのご尽力、
そして、会場を埋めてくださったお客様。
伝えたいことを
精いっぱい、心込めて伝える。
そこから様々な力が生まれることを、
あらためて実感しました。
からっぽになった今日から、
また一歩が始まります。
平和な今日に感謝を込めて。
再会 ― 2015年07月27日 11時08分37秒
あと3日で幕を開ける俳優館の公演「群青~雲流れる果てに」
私は台本を読んだときに、ドキッとしました。
赤沢という特攻隊員が、
実在した穴沢利夫さんをモデルにしていると気づいたからです。
今からさかのぼること30年以上前。
私は、ある資料で穴沢さんの婚約者のことを知り、
彼女を主役にすえた一人芝居を作りたいと思いました。
芝居の師匠ふじたあさや先生に手紙を書き、電話で相談しました。
当時は、20代半ばのヒヨッコ役者が一人芝居をするなどまずありえないし、
そもそも、誰でも一人芝居が出来るような時代ではありませんでした。
師匠は、「その題材は、ディテールまできちっと作らないと、うるさい人がいっぱいいるよ。そもそも目立つことをやれば、たたかれるだろう。その覚悟があれば応援しよう」と言われ、
怯んだ私は、その構想を誰にも話さないまま封印していました。
それが30年の歳月を経て、出演することになったお芝居の中で、
穴沢さんに再会したのです。
それだけでも、奇跡に近いと、ひとり心の中で叫んでいました。
それが、なんとこのお芝居の中で、
穴沢さんが婚約者にあてて書いた最後の手紙の一部を読むことになりました。
私の中にずっ生き続けていた穴沢さんが、
ようやく私の前へ現れた。
そんなふうに感じています。
戦後70年。
私にとって苦しみの夏ではありますが、
何物にも代えられないたくさんのものを受け取っています。
7月30日(木)19時
31日(金)14時/19時
8月1日(土)14時/19時
2日(日)11時/15時
芸文地下小ホール/一般券:3,000円
※7月31日の14時のチケットはソールドアウトとなりました。
私は台本を読んだときに、ドキッとしました。
赤沢という特攻隊員が、
実在した穴沢利夫さんをモデルにしていると気づいたからです。
今からさかのぼること30年以上前。
私は、ある資料で穴沢さんの婚約者のことを知り、
彼女を主役にすえた一人芝居を作りたいと思いました。
芝居の師匠ふじたあさや先生に手紙を書き、電話で相談しました。
当時は、20代半ばのヒヨッコ役者が一人芝居をするなどまずありえないし、
そもそも、誰でも一人芝居が出来るような時代ではありませんでした。
師匠は、「その題材は、ディテールまできちっと作らないと、うるさい人がいっぱいいるよ。そもそも目立つことをやれば、たたかれるだろう。その覚悟があれば応援しよう」と言われ、
怯んだ私は、その構想を誰にも話さないまま封印していました。
それが30年の歳月を経て、出演することになったお芝居の中で、
穴沢さんに再会したのです。
それだけでも、奇跡に近いと、ひとり心の中で叫んでいました。
それが、なんとこのお芝居の中で、
穴沢さんが婚約者にあてて書いた最後の手紙の一部を読むことになりました。
私の中にずっ生き続けていた穴沢さんが、
ようやく私の前へ現れた。
そんなふうに感じています。
戦後70年。
私にとって苦しみの夏ではありますが、
何物にも代えられないたくさんのものを受け取っています。
7月30日(木)19時
31日(金)14時/19時
8月1日(土)14時/19時
2日(日)11時/15時
芸文地下小ホール/一般券:3,000円
※7月31日の14時のチケットはソールドアウトとなりました。
7月15日 ― 2015年07月15日 10時41分27秒
46億年
この星の呼吸に揺られ
ちっぽけな
あなたと私
同じとき
この星に生まれ
私たちは
ここに生きる
なぜ…
その答えは
いま
ここに
************************
もともと公私の「公」は予定していた忙殺の日々でしたが、
母の入院などで予想外の展開。
これで創作なんて…と思っていたけれど、
今週に入ってようやく詩が書けるようになりました。
書き上げた詩を先ほど作曲者の菅原拓馬さんに送りました。
上の文はその一部です。
なんとなくコンサートのひと月前を最終締め切りと決めていたのですが、
なんとかその日に送ることができました。
これで次のことに取りかかれます(^^)
話は変わって、今の国会。
おそらく70年談話やアメリカとの約束など、
重ね合わせた無理なスケジュールと、
物の怪にでも取り憑かれたかのような異様な信念を押し通し、
周りも見えず焦りまくる安倍首相が、
今まさに数の力で強硬な行動に出ようとしています。
ファシズムの形容がふさわしい今のこの国。
私たち自身が歴史的負の遺産を背負う瞬間が迫っています。
それぞれができる形で声を上げ続けなければ。
今日は芸文センターの打ち合わせに行ってきます。
そのあと、俳優館の稽古です。
私は私の場で力を尽くします。
70年前のことを何十年たっても「過去の歴史」と振り返るために。
投
この星の呼吸に揺られ
ちっぽけな
あなたと私
同じとき
この星に生まれ
私たちは
ここに生きる
なぜ…
その答えは
いま
ここに
************************
もともと公私の「公」は予定していた忙殺の日々でしたが、
母の入院などで予想外の展開。
これで創作なんて…と思っていたけれど、
今週に入ってようやく詩が書けるようになりました。
書き上げた詩を先ほど作曲者の菅原拓馬さんに送りました。
上の文はその一部です。
なんとなくコンサートのひと月前を最終締め切りと決めていたのですが、
なんとかその日に送ることができました。
これで次のことに取りかかれます(^^)
話は変わって、今の国会。
おそらく70年談話やアメリカとの約束など、
重ね合わせた無理なスケジュールと、
物の怪にでも取り憑かれたかのような異様な信念を押し通し、
周りも見えず焦りまくる安倍首相が、
今まさに数の力で強硬な行動に出ようとしています。
ファシズムの形容がふさわしい今のこの国。
私たち自身が歴史的負の遺産を背負う瞬間が迫っています。
それぞれができる形で声を上げ続けなければ。
今日は芸文センターの打ち合わせに行ってきます。
そのあと、俳優館の稽古です。
私は私の場で力を尽くします。
70年前のことを何十年たっても「過去の歴史」と振り返るために。
投
こころとからだの平和バトン Fromやお, 3rd ― 2015年06月27日 16時39分21秒
先日、講演のあとでひとりの女性が歩み寄り、わたしに質問されました。
「今日のお話のような視野を持つためにどんな勉強をされたのですか?」
わたしの話の中に、
心理学、哲学、コーチングなどに通じる内容もあったようで、
そんな質問が出たのでしょう。
わたしは、心理学も哲学もコーチングも勉強したことはありません。
講演内容が、声や言葉の専門的な話ばかりかと思っていたら、
その方にとっては良い意味で、予想を裏切ったのだそうです。
あまり考えもしなかったことだったので、
あらためて考えました。
なぜそのような思考回路が作られたのか。
その所以を考えました。
意識的に、
あるときは無意識に、
できるだけ多様な人がいる環境に身を置こうとしてきたこと。
言い変えれば、居心地の良い場所に、あえてい続けなかったこと。
世の中にはいろいろな人がいます。
自分と違ってあたりまえです。
自分と違うからといって、排除したり差別したり遠ざけたりしない。
そんな訓練(?)が、それなりに出来ているのかな、と思います。
というより、むしろ違いを見つけることは、とても面白いことです。
まさに、人間社会も「生物多様性」、ですね。
この視点を見失うと、なんでも分類分けして、
違いを優劣に置き換え、自分と違うものを排除し、攻撃し…、となっていきます。
「我が民族は、世界一優れている」などと耳にすると、
では、劣っている民族があるのか、とわたしは不安を覚えます。
それから。
できるだけ想像の翼を広げようとしてきました。
想像力が欠けると、身内や仲間は大事にするけれど、
それ以外の人たちをまったく目にもとめなくなります。
相手によって言葉や態度が180度変わってしまいます。
自分の視野に入るものは、この世のほんのわずかなものたち。
放送の経験からは、サイレントマジョリティの存在を知りました。
見えるものから見えないものがどうつながっているか、
想像できる人でありたいです。
そんなふたつの指針が、わたしという人間を創ってきたのかな、と思います。
違いを認め合い、受け入れる関係性。
すぐ隣の人だけではなく、
地球を半周した先に生きる人びととも共生する想像力。
それがつながってゆき、平和な星への一歩が踏み出せるようになるのではないでしょうか。
そんな思いを胸に、これからも歌い語り続けたいと思います。
《こころとからだの平和バトン》 第三日目
このバトンは、広島市西区太光寺の副住職東和空さんの発案で、
天城流湯治法 杉本錬堂さんから始まったものだそうです。
三日間、心と体について思うところを書き、
その後、二人の方にバトンを渡して行くとのこと。
わたしは、同じ誕生日(2月25日)という不思議なご縁の
演出家 青柳敦子さん(通称:あおさん)からバトンを受け取りました。
ふだんから必要に迫られないと書くことをしないわたし。
考え、書くという表現の根元的なチャンスをいただいたことに心より感謝します!
※ 実は、6月24日、あおさんからバトンが届く前に走り出しました(笑)
そして、今日、次の人へバトンを渡す直前になりましたがバトンが届きました~(再笑)
わたしがバトンを渡す人は、栗原まるこさんと“匿名アーティスト”のSさんです。
*Sさんは、バトンを渡すときに匿名を条件に引き受けてくださいました。
おそらくWeb上のどこかでバトンがつながって行くことと思います。
*まるこさんは、8月15日に開くコンサート「同じ時代(とき)、この星に生まれて。」のチラシを共に生みの苦しみを乗り越えて創ってくださった画家であり、グラフィックアーティストです。
彼女の精神世界は、わたしも興味津々です。
どうぞお楽しみください(^^)
「今日のお話のような視野を持つためにどんな勉強をされたのですか?」
わたしの話の中に、
心理学、哲学、コーチングなどに通じる内容もあったようで、
そんな質問が出たのでしょう。
わたしは、心理学も哲学もコーチングも勉強したことはありません。
講演内容が、声や言葉の専門的な話ばかりかと思っていたら、
その方にとっては良い意味で、予想を裏切ったのだそうです。
あまり考えもしなかったことだったので、
あらためて考えました。
なぜそのような思考回路が作られたのか。
その所以を考えました。
意識的に、
あるときは無意識に、
できるだけ多様な人がいる環境に身を置こうとしてきたこと。
言い変えれば、居心地の良い場所に、あえてい続けなかったこと。
世の中にはいろいろな人がいます。
自分と違ってあたりまえです。
自分と違うからといって、排除したり差別したり遠ざけたりしない。
そんな訓練(?)が、それなりに出来ているのかな、と思います。
というより、むしろ違いを見つけることは、とても面白いことです。
まさに、人間社会も「生物多様性」、ですね。
この視点を見失うと、なんでも分類分けして、
違いを優劣に置き換え、自分と違うものを排除し、攻撃し…、となっていきます。
「我が民族は、世界一優れている」などと耳にすると、
では、劣っている民族があるのか、とわたしは不安を覚えます。
それから。
できるだけ想像の翼を広げようとしてきました。
想像力が欠けると、身内や仲間は大事にするけれど、
それ以外の人たちをまったく目にもとめなくなります。
相手によって言葉や態度が180度変わってしまいます。
自分の視野に入るものは、この世のほんのわずかなものたち。
放送の経験からは、サイレントマジョリティの存在を知りました。
見えるものから見えないものがどうつながっているか、
想像できる人でありたいです。
そんなふたつの指針が、わたしという人間を創ってきたのかな、と思います。
違いを認め合い、受け入れる関係性。
すぐ隣の人だけではなく、
地球を半周した先に生きる人びととも共生する想像力。
それがつながってゆき、平和な星への一歩が踏み出せるようになるのではないでしょうか。
そんな思いを胸に、これからも歌い語り続けたいと思います。
《こころとからだの平和バトン》 第三日目
このバトンは、広島市西区太光寺の副住職東和空さんの発案で、
天城流湯治法 杉本錬堂さんから始まったものだそうです。
三日間、心と体について思うところを書き、
その後、二人の方にバトンを渡して行くとのこと。
わたしは、同じ誕生日(2月25日)という不思議なご縁の
演出家 青柳敦子さん(通称:あおさん)からバトンを受け取りました。
ふだんから必要に迫られないと書くことをしないわたし。
考え、書くという表現の根元的なチャンスをいただいたことに心より感謝します!
※ 実は、6月24日、あおさんからバトンが届く前に走り出しました(笑)
そして、今日、次の人へバトンを渡す直前になりましたがバトンが届きました~(再笑)
わたしがバトンを渡す人は、栗原まるこさんと“匿名アーティスト”のSさんです。
*Sさんは、バトンを渡すときに匿名を条件に引き受けてくださいました。
おそらくWeb上のどこかでバトンがつながって行くことと思います。
*まるこさんは、8月15日に開くコンサート「同じ時代(とき)、この星に生まれて。」のチラシを共に生みの苦しみを乗り越えて創ってくださった画家であり、グラフィックアーティストです。
彼女の精神世界は、わたしも興味津々です。
どうぞお楽しみください(^^)
こころとからだの平和バトン Fromやお,2nd ― 2015年06月25日 18時20分08秒
あれは、今から6年半ほど前の2009年11月。
夫と、一歳になった娘とともに、
義母のお見舞いに上京したときのことでした。
夫の故郷は、東京駅から二時間近くかかる町。
子ども連れでの日帰り往復は、かなりの体力がいりました。
その帰り道、もうひとつ電車に乗れば自宅最寄りの駅、というとき、
急に足にブロックがかかったような激痛が走りました。
コンコースをのろのろと歩きながら、
夫に「ごめん、ここからはタクシーで帰りたい」と頼みました。
気軽にタクシーを使う習慣がないわたしが、
もう歩けないと感じ、タクシーを使ったのです。
そのとき、夫もわたしも、足に起きた痛みは、
一過性の現象と思っていました。
しかし、そうではありませんでした。
足がつるような痛みは日常となりました。
痛みは様々なところに影を落としてゆきました。
もちろん表現活動、講座などの仕事、そして日常生活全般に。
クルマの移動はできても、駐車場から現場まで移動するのに
ものすごく時間がかかりました。
あるとき、ついに車椅子に乗りました。
車椅子に座ると、大人のほとんどの視線が上から注がれます。
「かわいそうに」という表情をされることも、ままありました。
かと思えば、車椅子が通ろうとしていることに気づかず通路を塞ぐ人も。
「すみません」と声をかけるにも勇気が要ります。
痛みの原因はすぐには分かりませんでした。
整形外科、循環器、心療内科とグルグル回されました。
そして、ある病院で診断されたのが、
「線維筋痛症(せんいきんつうしょう)」でした。
なにそれ?と思う人も多いでしょう。
このごろ、少しずつメディアにも名前が出るようになりましたが、
原因不明、特効薬なし、特徴は全身に走る痛み。
その痛みを形容する言葉には、
「血管の中をガラスの破片が走るような」など、
ただならぬ表現を目にします。
死に至る病気ではないのですが、
痛みに耐えられず、自ら命を絶つこともあるほどです。
ちょうどわたしが診断された二年ほど前だったでしょうか、
著名なアナウンサーが、
この病に悩み、飛び降り自殺したニュースが記憶に新しいころでした。
そのころのわたしは、口を開くと「痛い」「痛い」と言っていました。
家にいるときはほとんど布団に横になっていました。
寝たきり、といってもいい状態でした。
痛い!という言葉は笑顔では言えません。
そして、それを聴く側も笑顔にはなれません。
家族も、そんなことばを聞かされて辛かっただろうな、と思います。
また病院で処方される薬は、いわゆる精神向薬のたぐいばかり。
痛みを止めるに、神経をマヒさせるしかないのです。
まじめに飲んだらフラフラになり、
日常生活はますます困難になりました。
友だちの助言もあって、薬を飲むことをやめました。
それでも痛みは容赦なく襲ってきます。
痛みをとるために、
いろいろなところに行きました。
いろいろな人を紹介していただきました。
そんなさなか、一冊の本を教えてもらいました。
ミステリー作家 夏木静子さんの「椅子がこわい」という本です。
何気なく手にしたその本は、想像以上に示唆に富んだものでした。
夏樹さんは激しい腰痛に悩んでいました。
あまりの辛さにふと死がよぎったり、
いずれ自殺することになるか、と思うほどの痛みだったのです。
夏樹さんはありとあらゆる療法を尋ね、試みます。
そして、最後にたどり着いた場所で、
「夏木静子のお葬式をしなさい」と言われます。
夏木静子としてのこれまでの華やかな経歴や過去をいっさい捨てなさいと言うことでしょう。
夏樹さんは、そもそも痛みが心因性のもの、というとらえ方も認めていなかったので、とうぜんのように抵抗します。
しかし、腰痛はどんどん彼女を追いつめ、最後の最後に決意をします。
そして断食療法を経て、自らの中の劇的な変化を感じ、
やがて腰痛もウソのように消えます。
わたしは、この本に背中を押してもらい、
これまで握りしめていたものを手放してみよう、と思い至りました。
そして、ほとんどの仕事をお断りしました。
『そんな連絡をするだけでもストレスになる、
無理してでも引き受けたほうがよほど気が楽だ』
と思っていたわたしが、仕事をキャンセルをしたのです。
一時的にはご迷惑をおかけした部分もありました。
でも、絶対的に「わたし」でないといけない、なんてことは、
この世にほとんどない、ということも知りました。
スケジュールが白くなっていきました。
会いたかった人に会いに行きました。
そうしながら3ヶ月もするうちに、
私の足の痛みはなぜか消えていました。
《こころとからだの平和バトン》 第二日目
このバトンは、広島市西区太光寺の副住職東和空さんの発案で、
天城流湯治法 杉本錬堂さんから始まったものだそうです。
三日間、心と体について思うところを書き、
その後、二人の方にバトンを渡して行くとのこと。
わたしは、同じ誕生日(2月25日)という不思議なご縁の
演出家 青柳敦子さん(通称:あおさん)からバトンを受け取りました。
今回は、あまり書かなかった『線維筋痛症』と診断されたころのことを記しました。こころとからだ、ほんとうに一体ですね。
夫と、一歳になった娘とともに、
義母のお見舞いに上京したときのことでした。
夫の故郷は、東京駅から二時間近くかかる町。
子ども連れでの日帰り往復は、かなりの体力がいりました。
その帰り道、もうひとつ電車に乗れば自宅最寄りの駅、というとき、
急に足にブロックがかかったような激痛が走りました。
コンコースをのろのろと歩きながら、
夫に「ごめん、ここからはタクシーで帰りたい」と頼みました。
気軽にタクシーを使う習慣がないわたしが、
もう歩けないと感じ、タクシーを使ったのです。
そのとき、夫もわたしも、足に起きた痛みは、
一過性の現象と思っていました。
しかし、そうではありませんでした。
足がつるような痛みは日常となりました。
痛みは様々なところに影を落としてゆきました。
もちろん表現活動、講座などの仕事、そして日常生活全般に。
クルマの移動はできても、駐車場から現場まで移動するのに
ものすごく時間がかかりました。
あるとき、ついに車椅子に乗りました。
車椅子に座ると、大人のほとんどの視線が上から注がれます。
「かわいそうに」という表情をされることも、ままありました。
かと思えば、車椅子が通ろうとしていることに気づかず通路を塞ぐ人も。
「すみません」と声をかけるにも勇気が要ります。
痛みの原因はすぐには分かりませんでした。
整形外科、循環器、心療内科とグルグル回されました。
そして、ある病院で診断されたのが、
「線維筋痛症(せんいきんつうしょう)」でした。
なにそれ?と思う人も多いでしょう。
このごろ、少しずつメディアにも名前が出るようになりましたが、
原因不明、特効薬なし、特徴は全身に走る痛み。
その痛みを形容する言葉には、
「血管の中をガラスの破片が走るような」など、
ただならぬ表現を目にします。
死に至る病気ではないのですが、
痛みに耐えられず、自ら命を絶つこともあるほどです。
ちょうどわたしが診断された二年ほど前だったでしょうか、
著名なアナウンサーが、
この病に悩み、飛び降り自殺したニュースが記憶に新しいころでした。
そのころのわたしは、口を開くと「痛い」「痛い」と言っていました。
家にいるときはほとんど布団に横になっていました。
寝たきり、といってもいい状態でした。
痛い!という言葉は笑顔では言えません。
そして、それを聴く側も笑顔にはなれません。
家族も、そんなことばを聞かされて辛かっただろうな、と思います。
また病院で処方される薬は、いわゆる精神向薬のたぐいばかり。
痛みを止めるに、神経をマヒさせるしかないのです。
まじめに飲んだらフラフラになり、
日常生活はますます困難になりました。
友だちの助言もあって、薬を飲むことをやめました。
それでも痛みは容赦なく襲ってきます。
痛みをとるために、
いろいろなところに行きました。
いろいろな人を紹介していただきました。
そんなさなか、一冊の本を教えてもらいました。
ミステリー作家 夏木静子さんの「椅子がこわい」という本です。
何気なく手にしたその本は、想像以上に示唆に富んだものでした。
夏樹さんは激しい腰痛に悩んでいました。
あまりの辛さにふと死がよぎったり、
いずれ自殺することになるか、と思うほどの痛みだったのです。
夏樹さんはありとあらゆる療法を尋ね、試みます。
そして、最後にたどり着いた場所で、
「夏木静子のお葬式をしなさい」と言われます。
夏木静子としてのこれまでの華やかな経歴や過去をいっさい捨てなさいと言うことでしょう。
夏樹さんは、そもそも痛みが心因性のもの、というとらえ方も認めていなかったので、とうぜんのように抵抗します。
しかし、腰痛はどんどん彼女を追いつめ、最後の最後に決意をします。
そして断食療法を経て、自らの中の劇的な変化を感じ、
やがて腰痛もウソのように消えます。
わたしは、この本に背中を押してもらい、
これまで握りしめていたものを手放してみよう、と思い至りました。
そして、ほとんどの仕事をお断りしました。
『そんな連絡をするだけでもストレスになる、
無理してでも引き受けたほうがよほど気が楽だ』
と思っていたわたしが、仕事をキャンセルをしたのです。
一時的にはご迷惑をおかけした部分もありました。
でも、絶対的に「わたし」でないといけない、なんてことは、
この世にほとんどない、ということも知りました。
スケジュールが白くなっていきました。
会いたかった人に会いに行きました。
そうしながら3ヶ月もするうちに、
私の足の痛みはなぜか消えていました。
《こころとからだの平和バトン》 第二日目
このバトンは、広島市西区太光寺の副住職東和空さんの発案で、
天城流湯治法 杉本錬堂さんから始まったものだそうです。
三日間、心と体について思うところを書き、
その後、二人の方にバトンを渡して行くとのこと。
わたしは、同じ誕生日(2月25日)という不思議なご縁の
演出家 青柳敦子さん(通称:あおさん)からバトンを受け取りました。
今回は、あまり書かなかった『線維筋痛症』と診断されたころのことを記しました。こころとからだ、ほんとうに一体ですね。
こころとからだの平和バトン Fromやお,1st ― 2015年06月24日 09時09分36秒
こころ
からだ
そこから発せられる
ことば
わたしの人生は
ずっと
このみっつを
見つめ
それを
表現世界で
どう
創出し
どう
伝え
結果
どう
伝わるか
そこに
意識を
集中してきた
数十年だった
気がします
こころ
からだ
それをつなぐ
架け橋が
呼吸
心が動くと
呼吸が変わる
呼吸が変わると
からだが変わる
からだが変わると
声が変わり
ことばが変わる
それらを表す場
わたしにとって
それは
舞台空間
舞台空間は
虚構の世界です
しかし
そこにこそ
真実を求め続けた
数十年でもありました
おそらく
死ぬまで
追い求めるでしょう
それをやめることは
わたしにとって
死と
同列の意味だから
《こころとからだの平和バトン》 第一日目
このバトンは、広島市西区太光寺の副住職東和空さんの発案で、
天城流湯治法 杉本錬堂さんから始まったものだそうです。
三日間、心と体について思うところを書き、
その後、二人の方にバトンを渡して行くとのこと。
わたしは、同じ誕生日(2月25日)という不思議なご縁の
演出家 青柳敦子さん(通称:あおさん)からバトンを受け取りました。
今日から三日間、思いつくままに書きたいと思います。
このバトンを…と“あおさん”からご連絡をいただいたとき、
ちょうど「ココロとカラダの深呼吸時間」という講座を開いていて、
これは受け取るのが自然の流れかなあと感じました。
自然体で綴ってきます。
よろしくおつきあいください。
からだ
そこから発せられる
ことば
わたしの人生は
ずっと
このみっつを
見つめ
それを
表現世界で
どう
創出し
どう
伝え
結果
どう
伝わるか
そこに
意識を
集中してきた
数十年だった
気がします
こころ
からだ
それをつなぐ
架け橋が
呼吸
心が動くと
呼吸が変わる
呼吸が変わると
からだが変わる
からだが変わると
声が変わり
ことばが変わる
それらを表す場
わたしにとって
それは
舞台空間
舞台空間は
虚構の世界です
しかし
そこにこそ
真実を求め続けた
数十年でもありました
おそらく
死ぬまで
追い求めるでしょう
それをやめることは
わたしにとって
死と
同列の意味だから
《こころとからだの平和バトン》 第一日目
このバトンは、広島市西区太光寺の副住職東和空さんの発案で、
天城流湯治法 杉本錬堂さんから始まったものだそうです。
三日間、心と体について思うところを書き、
その後、二人の方にバトンを渡して行くとのこと。
わたしは、同じ誕生日(2月25日)という不思議なご縁の
演出家 青柳敦子さん(通称:あおさん)からバトンを受け取りました。
今日から三日間、思いつくままに書きたいと思います。
このバトンを…と“あおさん”からご連絡をいただいたとき、
ちょうど「ココロとカラダの深呼吸時間」という講座を開いていて、
これは受け取るのが自然の流れかなあと感じました。
自然体で綴ってきます。
よろしくおつきあいください。
戦争が終わって70年 ― 2015年05月21日 08時22分44秒
今年は戦後70年を迎える年。
戦争がいかに多くの人びとの命を「正しい考え」の名のもと奪い去るものなのか。
この国では、その事実を知る人も年々少なくなりつつあります。
また、このごろの動きの中で、
私たちの国でも再び戦争の足音が聞こえはじめているという声も聞きます。
奇跡のようにこの地球に同じ時生まれた私たち。
太平洋戦争が終わったあの日と同じ8月15日、
平和な地球をイメージできるコンサートを企画しようと思います。
○8月15日(土)14時
○愛知芸術文化センター地下 大リハーサル室
○出演者
村上信夫(ナビゲーター・朗読)
白樺八靑(歌・朗読)
竹内幸枝(サクソフォン・歌)
伊藤玉木(コントラバス)
林敬子(パーカッション・マリンバ)
嶋田達也(ギター)
菅原拓馬(ピアノ・作曲)
伊藤等(語り部)
富岡貞夫(語り部)
津田さゑ子(語り部)
○一般:2000円/小中高校生:1000円
○主催:音楽集合体 コスモアルテ
○後援:愛知県・名古屋市・名古屋市教育委員会・愛知芸術文化協会
○協力:戦争と平和の資料館ピースあいち・守山劇場ボランティア
戦争がいかに多くの人びとの命を「正しい考え」の名のもと奪い去るものなのか。
この国では、その事実を知る人も年々少なくなりつつあります。
また、このごろの動きの中で、
私たちの国でも再び戦争の足音が聞こえはじめているという声も聞きます。
奇跡のようにこの地球に同じ時生まれた私たち。
太平洋戦争が終わったあの日と同じ8月15日、
平和な地球をイメージできるコンサートを企画しようと思います。
○8月15日(土)14時
○愛知芸術文化センター地下 大リハーサル室
○出演者
村上信夫(ナビゲーター・朗読)
白樺八靑(歌・朗読)
竹内幸枝(サクソフォン・歌)
伊藤玉木(コントラバス)
林敬子(パーカッション・マリンバ)
嶋田達也(ギター)
菅原拓馬(ピアノ・作曲)
伊藤等(語り部)
富岡貞夫(語り部)
津田さゑ子(語り部)
○一般:2000円/小中高校生:1000円
○主催:音楽集合体 コスモアルテ
○後援:愛知県・名古屋市・名古屋市教育委員会・愛知芸術文化協会
○協力:戦争と平和の資料館ピースあいち・守山劇場ボランティア
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