コトバの表現に何を求めるか2010年09月13日 09時45分02秒

いろいろな表現があるのはわかります。わかりますが...、言葉を使うのなら、言葉をこちらまで、客席の隅々まで、届けてほしいです。

届かなくていい言葉だったら、いっそのことメチャクチャな音声表現にしてほしい。その方がよほど、音楽的です。

言葉はたいせつです。言霊が宿っています。

でも...振り返ると...私もそうでした。演劇をしていたときには、意外にも、「言葉」や「声」に無頓着だったのです。声が大きければいい、とか、絶叫調の表現がひとの心を打つ、とか...すべて錯覚です。

私が求めているものは、たんに古くさいものなのでしょうか。そうでないと信じたい。いえ、今は信じます。

来年の春、新劇の門を叩いてちょうど30年になります。
(新劇という表現ももはや古典的な言葉となりましたね。)

その2011年初め、私は原点に帰ってみようと思います。

あまりにも暴力的で、あまりにも勘違いの表現が多い中で、たいせつなものを見失いそうになっている今だからこそ、自分のためにその時間を確保してみます。

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