見えなくなって見えるもの ― 2006年11月22日 00時34分31秒
先週の日曜日、目の見えない人たちの中で講座をやった。
官能朗読CD「花の歌」制作でかかわっている
名古屋盲人情報文化センターからのお話だ。
老若男女の受講生は、杖をたよりに集まってきた。
全盲の人。重度の弱視の人。
先天的に視力のない人。
人生半ばで失明した人。
視覚障害者といっても、それぞれだ。
ただ、中途失明者の苦しみには、みな一様なものを感じた。
今まで見えたものが見えない。
当たり前のように見ていたすべての色も形も、記憶の彼方に去ってゆく。
あまりの絶望に何度も死を試みた、と。
現在進行形で「死にたい」と言う人もいた。
でも、それをくぐり抜けてきた人たちの言葉には力がある。
「見えなくなってはじめて分かったことがいっぱいあるんですよ。」
「見えなくなって、よかったと思います。」
負け惜しみでなくこう話す人の言葉は心に響く。
ふと気づけば、
私もずっと目をつぶって話していた。
目を閉じて自分の声と言葉に心を向けると、
気づかなかった私の一面が、ほんの少し見えて来る気がした。
官能朗読CD「花の歌」制作でかかわっている
名古屋盲人情報文化センターからのお話だ。
老若男女の受講生は、杖をたよりに集まってきた。
全盲の人。重度の弱視の人。
先天的に視力のない人。
人生半ばで失明した人。
視覚障害者といっても、それぞれだ。
ただ、中途失明者の苦しみには、みな一様なものを感じた。
今まで見えたものが見えない。
当たり前のように見ていたすべての色も形も、記憶の彼方に去ってゆく。
あまりの絶望に何度も死を試みた、と。
現在進行形で「死にたい」と言う人もいた。
でも、それをくぐり抜けてきた人たちの言葉には力がある。
「見えなくなってはじめて分かったことがいっぱいあるんですよ。」
「見えなくなって、よかったと思います。」
負け惜しみでなくこう話す人の言葉は心に響く。
ふと気づけば、
私もずっと目をつぶって話していた。
目を閉じて自分の声と言葉に心を向けると、
気づかなかった私の一面が、ほんの少し見えて来る気がした。
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